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子供を育てる喜びとは?

2002.6.20


 

 先日、息子の幼稚園で子育てに関する講演会がありました。そのチラシにそのご高名らしい先生の書いた文章が載っていたので読んでみたところ、私の感覚とどうも違うなと思ったのです。そのことがこの文章を書くきっかけになりました。


 その文章の言いたいことを簡単にまとめると「子供を育てる喜びには”子供に期待できる喜び”と”子供を幸せにすることができる喜び”の2種類があり、前者に重きを置いてしまうと子供に重圧をかけることになるので後者の方を多く持って子育てするといい」というような趣旨でした。確かに期待をし過ぎることの弊害は分かるのですが、「子供を育てる喜びってこの2種類か?」「子供を幸せにできるなんて傲慢じゃない?」という疑問が浮かび、それから私は自分の感覚として持っている”子供を育てる喜び”ってどんなものだろうと自問をし始めたのです。

 私が子供と接していて喜びを感じるときはどんなときか・・・。色々な場面を思い出してそのときの感覚から考えると、私が思う「子供を育てる喜び」とは

  • 子供と共にいてあげられること
  • 子供の成長を見届けていられること
  • 子供といることにより幸せな気持ちになること

このあたりだなあと感じています。子供と同じ時間、同じ空気を共有していると感じられるとき、子供とのふれあいの中で成長を感じるとき、そして子供の笑顔や無邪気な表情・しぐさや言動に触れたとき、私はこの上ない喜びや幸福感に包まれるのです。

 このことから特徴的なのは”子供がそこにいてくれる”って感覚です。つまり子供がいてくれるおかげで私が喜びをもらうって言う感覚です。偉い先生の言っていることは「親が子供にしてあげる」と読めますが、私の場合は”子供にしてもらう”なのです。でも”私の喜び”なんだからこれは当然なんじゃないかと思うんですね。

 斎藤 学さんという方が書いた「家族は怖い」(新潮文庫)という本の中に「子供をいとおしく感じるのは、親のナルシズムや自己愛を、子供に投射しているからです。つまり自分を愛しているわけです。」という一節があります。私はそれを読んで「そうか、”子育ての喜び”とか言ってもそんな格好いいものじゃなく、自分が喜んでいるだけなんだな」と思って妙に納得したのでした。無邪気な赤ん坊や子供を見て「可愛いな」と思うのは、そう思う自分に満足感を覚えているだけなのでしょう。ですから子育ての喜びは自分のエゴイスティックな満足感であるということをまず認識して、謙虚に自分は子育てさせてもらっているんだ、喜ばせてもらっているんだという感覚になれれば、子供に期待したり、幸せにしてやるという傲慢な気持ちから自由になれるような気がします。

 今、私は子供とともにいられることの喜びを純粋にかみしめています。皆さんもちょっと意識を変えて、子供に喜ばせてもらっている自分を認識してみてはいかがでしょうか。違ったものが見えてくるかもしれませんよ!


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