当たり前のこと、新鮮な驚き

2000.1.25


 その日、私はあるセミナーの説明会に出席しました。そこで講師の方が話した内容について、私に感想を述べた2人の受け止め方は全く対照的なものでした。ひとりは「なんでこんな当たり前のことをもったい付けて説明しているのか」というものでした。ところがもうひとりは、「目から鱗が何枚も落ちた」といたく感激していたのです。私の感想としてはところどころ参考になることもあったけど今一つピンと来ないなというものでした。まあ私の感想は置いておいて、この二人の感想がこれほど対照的なのは何故なのかを考えてました。

 おそらく、当たり前だと思った人にとって、その日聞いた話の内容はその人の人生の中ですでに実感として分かっていたことだったのでしょう。だから何を今更と感じたのだと思います。ところがもうひとりの方は、話の内容について今まで考えたこともなかったのでしょう。それ故とても新鮮な気付きがあり、すっかり感心して講師の人をすごい人だという視線で見ることになっただと思うのです。

 また最近、ある団体が発行している雑誌を目にする機会がありました。そこには代表者のありがたいお話が載っていたのですが。私にはどう見てもしごく当たり前のことが書いてあるだけで、どこが有り難いのか、素晴らしいのかが全く理解できませんでした。しかしそこに投稿されている記事にはおしなべて、その方のお話は本当に素晴らしい、という基調で統一されていました。

 これらのことからいくつかのことがわかるような気がします。まず、同じ内容の話や事柄であっても人によって捉え方が全然違うということ。つまり当たり前だと思っていることはもしかしたら当たり前じゃないのかも知れないということで、もっと言うと当たり前だと思っていることが意外と大事なことだったりするかもしれないと、時々疑問を挟まないといけないかもね、ということなのです。特にその事柄についてプロだったりすると、自分自身ではとても当たり前のことなんだけど、実は他の人は意外と知らないことだったりして、その事柄の大切さをきちんと伝えられない場合があるのではと感じました。自分では当たり前だと思っていた事柄の価値をもう一度見直してみることも必要なのかもしれません。

 また逆に、こりゃすごいと感心したことでも、もしかしたら他人にとっては当ったり前のことだった、ということがありそうです。目から鱗が何枚落ちたとしても、それは自分が今まで気がついてなかっただけで、傍から見るとそれほど大したことではないのかもしれません。だからすごいと思ったとしても一旦冷静になって、まわりを見渡してみたほうがいいのかもしれない。それをしないですぐにその考えこそが真理であるかのように考えたり、その話をした人をすごい人だと思い過ぎたりすることは結構危ないことかも知れないな、と思ったのです。衝撃をうけてもそこですぐ入れ込みすぎないで、落ち着いてその事柄を見直し、改めてその価値をクールに判断する態度が大事なんではないかと思った次第です。

 当たり前だと思うと、その事柄について改めてよく考えることを止めてしまうし、すごいと思ってしまうと、冷静にその事柄を見つめることができなくなってしまう恐れがあるし、そのどちらも行き過ぎると視野が狭くなってしまい、事の本質を見誤る危険性があるのだなあと思ったのでした。

 私がこのコーナーで検討したり、書いたりするテーマや結論もある人にとっては読む価値もないくらい当たり前で取るに足りないことかも知れないし、もしかしたらへえ〜って感心してくれちゃったりする人もいるかもしれないんだろうなあ。だから私は自分で当たり前だって思っていたことや、へえ〜って思ったことをもう一度「本当かな」って検証をしたくて、これからいろんな話題を書いていくつもりなのです。

 う〜ん、やっぱり取るに足りない文章だなあ。プライベートコーナーでよかった。


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